学生時代を振り返る(経営者一族の子育て法?)

私の学生時代について、経営者一族の子育て法(帝王学?)に触れながら振り返っていきます。

自分の子育てにも生かせそうです。笑

小学校時代

私たちは学校法人にて幼稚園の経営をしていますから、当然、幼稚園は自園に通いましたが、この頃の記憶はほぼありません。

祖母曰く「あれなに~?」となんでも好奇心旺盛な子供だったらしく、それに対し「うるさい!」と否定したり、子供だからとごまかしたりせず、色々教えてあげていたそうです。

これは非常にありがたかったと思っていて、大人になっても、わからなければ恥ずかしがらずに質問したり、ズケズケと発言できる気質に繋がったのではないかと考えています。

図々しさ大事。

子供扱いせず、気になることを教えてあげることは大事!

また、学研に入れてもらっていたようですが記憶はありません。地頭の良さが鍛えられた可能性があります。教育に金かけてますね。

祖父からもらった小学校1年生のお誕生日プレゼントが4コマことわざ辞典でした。

小学校3年生の誕生日プレゼントは、マンガでわかる日本の歴史でした。

おかげで国語や歴史が好きな子供時代でした。

日本史・世界史だけはずっと得意科目。

こじつけかもしれませんが、偉人たちの人生や意思決定を子供時代に模擬体験したことは、私の人格形成に深く関わっているような気がします。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」

という言葉があるように、子供を賢く育てるためにマンガで学習させるのは効果的なのかもしれません。

学習マンガで難しいことに興味を持たせる!

小学3年生からは、栄光ゼミナールに通わされていました。

なんの疑問も持たず通っていたので不思議です。子供は無垢です。

そして塾内で競争を煽られるので、自然と勉強するんですよね。

勉強をすることが当たり前の環境に身を置かせる!

塾に通っていると、小学校の勉強内容は簡単でした。

こんな記憶があります。

算数の課題を40分の間に解いて先生に丸付けしてもらうのですが、私は友達の半分の時間で解き終えてしまいました。

先生に丸付けしてもらった後は、

「でんくん、他のお友達に教えてあげてね」

と言われ、鼻高々に先生の横に座って、友達に解き方を教えたり、丸つけしてあげたりしていました。

「教師として、それでいいのか?笑」ということはさておき、こういったことの積み重ねで、自己肯定感が育まれていくのだと思います。

自分は賢いんだ、という自信は大事です。

話は飛びますが、大学受験のセンター試験(国語)で200点満点中183点でした。過去のことを誇るのはダサいのですが、やはり学生時代に積み上げた自信って、社会人でへこんだ時に心が折れない理由になるんですよね。

「俺はもっとできるはずだ」って。

子供の頃の成功体験や自己信頼感は大人になってから生きてくる!

中学高校時代

中学受験を経て、私立城北学園城北中学校に進学しました。

地元の小学校では、中学受験をする子が私を含めて3人しかおらず、この3人は天才扱いでしたが、それが井の中の蛙であったことを思い知らされます。

「受験が終わったら勉強しなくていい」

と勘違いしていたのと、そもそも勉強が嫌いだったこともあり、ろくに勉強せずに受けた中間テストで約200人中190位・・・。

進学校は、秀才の集まりだったのです。

そこからは自信喪失し、中学時代はあまり勉強した記憶がありません。マンガ読んだりゲームをしたり、自堕落な生活に身を投じました。

なぜか父母も「勉強しろ!」と怒らなかったので、テキトーな中学時代を過ごしていました。燃え尽き症候群ですね。

親なんだからもう少し介入してくれても良かったのでは?と思っています。

中学生なんて基本浅い考えしか持っていないわけで、楽なほうに流されやすいものです。親が自分の人生経験を語り、少し軌道修正してくれていたらもう少しマシな中学生活だったかもしれません。

燃え尽き症候群にならないようにマネジメント!

例えば現在でいうと、子供にSNSやYOUTUBEにおける発信はやらせないほうがいいでしょう。

子供ゆえに万能感がある発信をしてしまうのがリスクです。

無知な人間ほど謙虚な発言ができないから敵を作るし、後になって恥ずかしい思いするのが目に見えています。

そうならないよう軌道修正してあげることも、親の責務ではないでしょうか。

子供の人生だからといってほったらかしても、子供はロクな選択ができない。

勉強については何も言われませんでしたが、父がよく言っていたのは、「いい友達をたくさん作れ」でした。

いくら勉強ができても、コミュニケーション能力が低いガリ勉タイプでは、経営者には向いていない、というニュアンスでした。

おかげで、誰とでも気兼ねなく話すような人格が形成されました。

実際、経営者は社内外で人と接する機会が多く、交渉相手によってコミュニケーション戦略を変えなければなりません。学生時代の交友関係が広く、多様な人種との場数を踏んでいれば、対応力に幅が持てるでしょう。

「学生時代は友達いっぱい作っとけ」の真髄は実はここにあると思いました。

人間嫌いでは経営者は務まらない!

高校からは単位制となり、テストで一定の評定点を取らないと、留年になるという仕組みでした。私は中学時代に引き続き、勉強をしなかったので、高校1年生でも、学年順位は下から5番。

留年の危機に陥りました。

ある日、クラス担任から職員室に呼び出されると、

「お前、このままだと留年だけど、後輩と一緒に勉強するの嫌だろ?ここから行きたい学校選べ」

と言われ、定時制の学校のパンフレットを渡されました。

この時は、流石に恐怖で震えが止まらなかったです。笑

そこからある程度まじめに勉強するようになり、留年を回避。

高校二年生の冬ごろからは受験モードになっていきます。周りも受験モードで賢い友人が多かったので、問題を出し合ったりして能力を引き上げてもらいました。

受験前の半年間は、勉強の息抜きでのテレビ・漫画・ゲームを禁止しました。

勉強か睡眠しかしないルールにして、勉強したくない時はとにかく寝てOK。

寝るのに飽きて勉強する時に、脳内に余計な情報が入ってこないので、暗記がとても捗ります。

甲子園球児が野球に打ち込むのと一緒で、思考を集中すると、当然行動も集中します。

思考の管理は、ほとんどの人ができてないので、思考を管理することを意識すると、いい結果を得られるかもしれません。

私は上智大学経済学部経営学科に現役合格できました。

朱に交われば赤くなる!周りのレベル大事!目的達成するために思考を管理する!

腐っても地頭は良かったようです。幼少期の教育に感謝しています。

幼少期に地頭を鍛えると、大人になってから役に立つ!

大学時代

大学時代はテニスサークルに入り、身体を虐めるようなお酒の飲み方をしていました。

いわゆるコール飲みです。

これはほんとにお勧めしないので、コール飲みをするサークルに入るのはやめましょう。

父が亡くなっていたこともあり、この頃は好き勝手に夜遊びをしていました。

今思えば、もっと有意義な大学生活送れたな、と思っています。

お酒のイッキ飲みはやめよう!もっと有意義な時間の使い方をしよう!

価値観が変わったのは、就職活動でした。

11のテニスサークルが所属する団体で、イベントの責任者として企画の立案や司会の仕事をしました。自分が中心になって物事を進める喜びの反面、ゼロから何かをつくる難しさの中で、一人よがりにならないようチームでの「協働」を心がけました。

私は上記のような自己PRだったのですが、集団面接の周りの子たちが

「一橋大学で廃部寸前だった新聞部を立て直して過去最大の広告収入を得ました」

やら

「NPO法人で、浅草に来ている外国の方に着物の素晴らしさを発信していました」

など、すごい学生だらけで大きな刺激を受けたことを覚えています。

就職活動は大学3年の3月に終わったので、「残りの1年、悔いのない大学生活を送ろう!」と心に誓いました。

「ボランティア活動と海外旅行は社会人になったら時間取れないよ!」

と先輩に教えてもらい、他大学の友人達と就活支援の活動をしたり、東南アジア3か国(ベトナム・カンボジア・タイ)貧乏バックパッカー旅行をしたり、世界遺産(アンコールワット、サグラダファミリア、万里の長城、アルハンブラ宮殿、自由の女神)を訪問したりしていました。

お金は親に借りたのと、カードローンで借りました。笑

社会人になればすぐに返せると思っていたし、実際すぐに返せたので、大学4年生の春休みにバイトをするくらいなら、借りちゃったほうが有意義だと思います。

社会人になったらお金はあっても時間がなくなったので、行動に移して正解でしたね。

学生団体と海外旅行は大学のうちにやっておこう!(お金を借りてでも)

子育てブログのようになってしまいました。笑

その後、大学を卒業し、激務のベンチャー生活に身を投じていきます。↓

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