プロフィールページにも記した通り、私は不動産企業体の3代目経営者です。
創業者である祖父は、たった1代で7法人8社の企業体を築きました。
我々は有名な上場企業というわけではないですが、売上50億、従業員250名の規模感、創業して53年になりますが、一度も赤字決算を出していないこと、次々と異業種に挑戦して、そのすべてを成功させている事実は、身内ながら尊敬し、誇りに思っています。
私は祖父について話す際、勝手に「怪物経営者」だと説明しています。笑
現在、祖父は会長職に就き、80代になっても現役バリバリ、ほぼ毎日会社に来て激を飛ばしています。
後継者としては、創業者の経営哲学を理解することが経営者としてのスタート地点だと思っていますし、私が創業者に直接指導いただける最後の世代になろうかと思います。
創業者から得た学びを、次世代のためにここにまとめます。
※このページは祖父が生きている限り、少しずつ更新し続けます。
時代には逆らうな
もともと藤田家は農家だったわけですが、農業では大した収入を得ることができないと感じた祖父は、山種証券株式会社(現SMBC日興証券)に丁稚に行っていたとのことです。
その際、大実業家である山崎種二社長から「藤田君、今後は開発も増えるし、何か商売やるなら不動産業がいいぞ」と言われたことがきっかけで1967年に不動産業を始めました。(ヤマタネグループは1962年から不動産業に進出しています。)
また、第二次ベビーブームの兆候がでてきた1968年には、「今後は子供が増えるし、まともな教育が受けれる学校が必要だ」と学校法人を立ち上げます。
さらに1991年には、第3次ゴルフブームを受けて、当時最先端だった全自動式のゴルフ練習場を開設、2009年には高齢化社会を予見して、介護老人保健施設を開設しました。
時代の流れに乗って、シンプル&スピーディーな事業展開をしていることが分かります。
実際、普段から祖父と話していて
「時代に逆らうな、時代に乗れ」
というニュアンスの言葉がよく出てきます。現在では、ipadを使いこなし、AIやシステム化などの情報収集をしながら経営の効率化をすすめています。
また、国策に適合した事業展開をしていくことも常に意識しているように感じます。
私も創業者に倣って、時代や国の動向には注視していかなければなりませんね。
どんな時代でも生き残れる企業をつくる
上記のように、事業を多角化することで
「あちらが倒れても、こちらは生きる」
というような経営基盤を築いてきたわけですが、それと同時に祖父が力を入れていたのは、不動産賃貸業です。
当社はグループ全体で250名の従業員がいますが、それは逆に言うと、社員に依存しているビジネスモデルでもあるのです。
社員に依存するビジネスモデルは、採用・教育との闘いとなります。
もちろん、志を同じくする仲間と仕事をすることは経営者の醍醐味ですが、他人がすることに対して責任を負わなければならないことは、経営者が一番疲弊するところでもあるのです。
祖父は、「人を使わないビジネスは強い」ということに早くから気づき、事業収入を元手に借り入れを起こしながら、不動産投資を進めていきました。
賃料収入があれば、社員の良し悪しに左右されることなく、どんな時代でも生き残れる企業をつくれると考えたそうです。
私もこの考えに賛同しているので、今後も事業運営をしながら、不動産賃貸業の強化もしていくつもりです。
先代を超えることはできない
大学生の頃、父の3周忌の会合で、取引先100名ほどの面前で挨拶をする機会があり、「親父超え」というテーマでスピーチをしました。
「男として、父を超えた、すごい経営者になるんだ!」
と今思えば、青臭い考えで、当時は何もわかってなかったな、と今でも恥ずかしくなります。
スタート地点も時代背景も全く違うのですから、そもそも勝負にならないわけですし、会社を引き継いでいる時点で、いかに私が素晴らしい業績をあげたとしても、それは先代の礎があってこそ成り立っているわけです。
先代はもちろん、創業者の功績や偉大さは後継者には計り知れません。
その想いも背負っていくことが、後継者に求められるのだと思います。
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